【アメリカの音大の授業を体験①】歴史:ジャズはなぜニューオーリンズで生まれたのか
どうも、ジャズ史ガチ勢のマルヒロです。
「ジャズ専門音大ってどんな授業をしているんだろう?」と気になった方ってどれくらいいるんでしょうか?
そんな方々のために、僕が大学で学んだ内容を自分なりにまとめてみなさんにご紹介するシリーズをスタートします!
今日はJazz History(ジャズの歴史)の授業から、ジャズの誕生について説明していきましょう!
この記事を読めば
①フランス植民地の特徴
②20世紀の白人と黒人の関係性
③どうしてジャズはここまで複雑なのか
などが学べちゃいます!
※当時の人種区分をわかりやすく説明するために「白人」「黒人」という表現を多用します。ご了承ください。
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19世紀のニューオーリンズの特徴
第3の人種
19世紀のニューオーリンズには、ヨーロッパ系の白人とアフリカ系の黒人に加え、その白人と黒人の間に生まれたクレオール人と呼ばれる「第3の人種」がいました。
このクレオール人が、ニューオーリンズの文化を語るうえで重要な役割を持ちます。
フランス植民地は黒人に優しい
アメリカ合衆国のほとんどはもともとイギリスの植民地だったため、そこに住み着いた白人もイギリス系の白人ばかりでした。
イギリス人は、ほかのヨーロッパ諸国の移民よりもアフリカ人に対して排他的でした。
理由は諸説ありますが、一般的にはイギリスが島国だったからといわれています。
一瞬日本の「島国文化」が頭をよぎったよね
一方でニューオーリンズが位置するルイジアナはもともとフランスの植民地。
フランスやスペインなどの地中海に面した国々は、アフリカと物理的に距離が近かったこともあり、黒人に対する態度もイギリス人に比べてかなり友好的だったようです。
そしてこのフランス植民地の特色は、ルイジアナがアメリカに合併した後も残ります。
自由な有色人種のクレオール人
フランス植民地の文化を受け継いだニューオーリンズでは、奴隷解放宣言前から有色人種にもある程度の自由を与えていました。
毎週決まった時間は「奴隷の時間」とし、その時間は特定の場所であれば、アフリカの伝統的な民族音楽を演奏したり踊ったりすることが許可されていたのです!
奴隷解放宣言以降はさらに自由度が増します。
ほかの地域では「Black」とみなされるクレオール人は、白人とほぼ同じ権利を有する「自由な有色人種」として生活していました。
クレオールではない黒人も、事前に許可さえとれば居住エリア外での「黒人音楽」の演奏が許されていました。
まあ、これって現代人の僕らが見ると
「いや全然差別的じゃん!」
って感じですが、当時のほかの地域と比べるとだいぶ緩いんですよ。
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奴隷解放宣言直後のニューオーリンズ音楽
白人の音楽
ニューオーリンズの白人は、ヨーロッパで流行していた舞踏音楽を好んで演奏していました。
白人のミュージシャンは、クラシック音楽の高度な音楽理論をしっかり理解しており、高度な知識と技術を持ち合わせたエリート的存在でした。
黒人の音楽
一方黒人は、高度な音楽理論やヨーロッパ的な正しい演奏技術を学ぶ機会がありませんでした。
しかし、彼らにそんな必要はありません。
もともとアフリカ大陸では音楽は生活の一部で、音楽を「学問的に教える」という概念がそもそも存在しないのです。
だから彼らは、アメリカ大陸に奴隷として連れてこられたころからずっと、「習うより慣れよ」精神で音楽を受け継いでいました。
20世紀になってからもその風習は変わらず、ニューオーリンズの黒人たちは、白人たちが演奏している楽器を見よう見まねで習得していました。
しかも面白いことに、彼らは自分たちが先祖代々受け継いできたアフリカのリズミカルな音楽を表現するために、独自の奏法を開発していました。
そのためニューオーリンズの黒人たちは、白人と同じ楽器を使いつつも、白人音楽とは全く違う音楽を演奏していたのです。
クレオール人の音楽
クレオール人はというと、実は白人と全く同じ音楽を演奏していたんです。
彼らは肌の色が違うということ以外は、ほとんど白人と同じ扱いでしたよね?
だから彼らは白人と同じ場所で同じ音楽理論を学び、白人たちと同じように舞踏音楽を演奏していました。
突然やってきた「ジム・クロウ法」
そんな感じで白人・クレオール人・黒人という独立した3つのコミュニティが成立していたニューオーリンズですが、あるときこの構図がガタガタと崩れ落ちます。
実はアメリカでは、19世紀終盤から各地で黒人に対する差別を強化する法律が制定され始めました。
これらの法律をまとめて「ジム・クロウ法」と呼ぶのですが、1900年ごろにはニューオーリンズの黒人たちも「ジム・クロウ法」に苦しめられます。
そしてこのジム・クロウ法は、クレオール人を黒人と同じように扱うように定めました。
それまで別々だった居住エリアも統合され、クレオール人と黒人は強制的に同じエリアに住まわされました。
これにはクレオール人も黒人も大混乱。
もともとクレオール人は「自由な有色人種」だったので、「制限のある黒人」を下に見ていたんです。
黒人もその構図に慣れていたため、クレオール人とうまくなじむことができませんでした。
めっちゃ威張ってた先輩が留年して同級生になって気まずい感じに近いね
しかし皮肉にも、このジム・クロウ法による社会の変化がジャズを生みます。
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ジム・クロウ法後のニューオーリンズ音楽
黒人とクレオール人の間で始まる音楽的交流
ジム・クロウ法によって黒人と全く同じ扱いを受けることになったクレオール人。
白人とほぼ同じ扱いだったクレオール人が黒人と同じエリアに住むということは、それまで交わることのなかった白人文化と黒人文化が必然的に交わることを意味します。
最初はお互いになじめなかった両者も、少しずつお互いのグループが持ち込んだ文化を認めだします。
その結果、黒人はクレオール人からヨーロッパ的な音楽理論を習得し、代わりにクレオール人は黒人からアフリカ的なリズムを習得します。
さらに両者はお互いの演奏技術も共有します。
ヨーロッパの高度な音楽理論×アフリカの高度なリズム×それぞれが持つ高度な演奏技術
この掛け算の答えがジャズです。
この新しい音楽が持つ斬新さと複雑さは、すぐにニューオーリンズ中のミュージシャンの間で流行し始めました。
真っ先に真似する白人たち
「黒人たちが新しい、高度な音楽を作った」と聞いて黙っていないのが当時の白人たちです。
彼らは黒人たちのジャズを聴き、真似し、自分たちの音楽として真っ先に発表します。
それが1917年に発表された「オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(ODJB)」による"Livery Stable Blues"
彼らは「俺たちがジャズを開発した。黒人は俺たちをパクった。」と主張し、彼らの"Livery Stable Blues"こそが世界初のジャズだとしました。
ですが、実際にはこれ以前に発表された黒人ミュージシャンの音源で、すでにジャズっぽい演奏をしていることが確認されています。
こちらの動画は1913年の黒人オーケストラによる音源です。
ジャズとまではいかなくても、リズミカルな演奏や複数のメロディの重なり合いという、初期のジャズの特徴的な要素がすでに確認できます。
もし本当に黒人が、1917年にODJBが発表した音源をパクったのだとしたら、この1913年の音源のような演奏はどこから来たのでしょうか?
そう考えると、ODJBの主張は誤ったものだといえますよね。
また、ODJBの演奏にはジャズにとって最も重要な要素である「即興演奏」という概念が存在しません。
上のODJBの音源をもう一度よく聞いてみてください。
繰り返し演奏される動物の鳴きまねが、毎回全く同じように演奏されています。
二つ上のKing Oliverによるジャズの演奏では、同じメロディの繰り返し部分でも毎回少しずつアレンジがされており、全く同じように演奏されている部分は一か所もありません。
つまりODJBは、あくまで世界で初めて「ジャズ」という言葉を使って音源を発表したグループ、というほうが正確なのです。
当時黒人が音楽を録音するのはなかなか難しかったから、余計にODJBの主張が受け入れられちゃったんだよね
ちなみに、世界初のジャズは誰が演奏したか、ということに関してはいまだに議論されています。
まとめ
ということで、ジャズがどのようにしてニューオーリンズで生まれたかということの解説を通して、僕が通っているCJCでの授業内容を体験していただきました!
まとめると、
- ニューオーリンズは白人、クレオール人(黒人と白人のミックス)、黒人という3つの独立した人種区分
- ニューオーリンズはフランス植民地だったため、有色人種にもやさしく、特にクレオール人はほとんど白人と同じ扱いだった
- 当時の白人とクレオール人ミュージシャンはクラシック的な高度な音楽理論に関する素養があった
- 当時の黒人ミュージシャンは独自のアフリカ由来の音楽文化をはぐくんでいた
- ジム・クロウ法によって黒人とクレオール人が同じ人種として扱われるようになり、ヨーロッパ的な文化とアフリカ的な文化が融合し、ジャズが誕生
となります。
僕はこの流れを学んだとき、人種差別がなかったらジャズは生まれていなかったのかもしれないという風に考えてしまいました。
もちろん人種差別は奨励されるべきものではありませんが、このなんとも暗い過去を背負っているからこそ、ジャズにはジャズ特有の深みがあるのかもしれません。
皆さんはこの記事を読んでどのようなことを感じましたか?
今までとは違った視点で音楽を見ることができたでしょうか?
CJCの授業の雰囲気は少しでも伝わったでしょうか?
この記事に関する質問や、体験授業シリーズのリクエストなどがある方は、ぜひぜひコメントやツイッターで教えてください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!