まるごとアドリブ

ジャズの知識ゼロで「アメリカ唯一のジャズ専門音大」に留学したドラマーの奮闘記。

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アメリカで小学校生活を送った僕が10年前を振り返って伝えたい「ありがとう」

どうも、初恋相手はアイ・カーリーのミランダ・コスグローヴのマルヒロです。

 

ご家族での海外移住を考えている方にとって、お子さんの環境変化に対するケアというのはすごく気になるポイントだと思います。

 

僕は7歳のときに父親の仕事の都合でミシガン州へ移住したのですが、当初はかなり精神的にきつい部分がありました。

それでも今となっては、当時あの年齢であの貴重な体験ができたことを心から感謝しています。

 

そしてこの記事を書いている今、僕は10年ぶりにミシガンに滞在しています。

 

ちょうどいいタイミングなので、今回は実際に駐在を経験した子どもの目線から、親にしてもらってうれしかったことをまとめていきます!

 

題して「10年ぶりに伝えるありがとう」です!

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好きなだけテレビを見させてくれてありがとう

下の記事で詳しく説明していますが、現地校に入学した僕は、言葉と文化の壁のせいでクラスメイトからいじめられました。

そのいじめのストレスから僕を救ってくれたのはテレビ番組でした。

 

特にスポンジボブが大好きで、スポンジボブがテレビの中で変なことをやっている間は嫌なことを忘れられました。

スポンジボブのセリフをまねすることで少しずつ英語を覚え、スポンジボブのおかげでアメリカ文化も学ぶことができました。

 

いじめのターゲットから外れるようになったきっかけも、コメディ番組でいじめられっ子がいじめっ子に対して悪口を言い返したシーンを見たからでした。

 

実はテレビが見たいあまりに学校の宿題をしなかったこともあったのですが、もしあそこで

「テレビばっかり見ていないで英語の勉強しなさい!」

と言われていたら、それこそストレスに押しつぶされていたかもしれません。

 

スポンジボブの再放送を「もうそれ何回も見てるじゃん」と笑いながらも、僕の気のすむまで見させてくれて本当にありがとう。

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二人も家庭教師をつけてくれてありがとう

もちろん僕の英語力のすべてがスポンジボブで培われたわけではありません。

 

学校でのコミュニケーションに苦戦していた僕を見て、両親は人づてに二名のチューター(家庭教師)を付けてくれました。

 

一人は学校の勉強を見てくれる30代の男性教師。

ゆっくり聞きやすい英語を話しながら、何度も丁寧に勉強を教えてくれました。

僕が興味のありそうなテーマに関する話題を毎週持ってきてくれて、たまには庭で一緒にキャッチボールをすることもありました。

その後彼とは家族ぐるみの付き合いをするようになり、親戚のおじさんのような感覚でいろいろなことを話せる関係になりました。

 

もう一人はとにかく英会話力をアップさせるための20代の男性教師。

日本のアニメやゲームが大好きで日本語もとても流ちょうでした。

でも授業中はその日本語を一切封印して、わざと若者っぽい早口で僕に話しかけてきました。僕はそれに必死に食らいつき、何度も失敗しながら少しずつリアルな会話力を身に付けました。

逆に彼は彼で日本語を勉強したいということで、30分会話をした後に、30分母親が彼に日本語を教えるという形式をとっていました。

 

この全くタイプの異なる2名の家庭教師がいてくれなかったら、僕の英語力はここまで向上しなかったでしょう。

そして学校の勉強にもついていけなかったでしょう。

 

大人になって振り返ってみると、二人の家庭教師をつけるというのは経済的にも負担のかかることだったと思います。

それでも僕のことを思って家庭教師をつけてくれてありがとう。

家では日本語をつかってくれてありがとう

ご家庭によっては家でも極力英語を使うところや、日本語のテレビを見ることを禁止するところもあるそうですが、うちはそういうことは一切ありませんでした。

家に帰ってくれば日本語で話すし、時折祖父母の家から送られてくる日本のお笑い番組のDVDや、ケーブルテレビの日本語放送も見させてくれました。

 

もちろん徹底して英語の環境にしていたら、今よりさらに流ちょうな英語を話せていたかもしれませんが、同時に今ほど流ちょうな日本語は話せていなかったと思います。

 

日本に帰国した後も、多少のカルチャーショックを感じつつも、割とスムーズに日本の学校生活になじむことができました。

帰国子女を何人も見てきた先生にも

「5年間もアメリカにいた割に日本語がしっかりしている」

と言っていただきました。

 

家の中では日本語がオーケーだったことでストレス発散にもなり、すごくいいバランスで日英両方の言語力を維持できたと思います。

常に日本語に触れさせてくれて、ありがとう。

補習校を辞めさせてくれてありがとう

これはかなり賛否が分かれると思いますが、僕は小学校4年生が終わった段階で、日本人向けの補習授業校を辞めました。

 

これにはいくつか理由があったのですが、最大の理由は毎週土曜日が学校でつぶれてしまうこと。

 

最初は日本語が使える環境にいれることが楽しかったのですが、あるときから補習校に通うことで現地の友人の誕生日パーティーに参加できなかったり、やりたかった習い事に通えなかったりすることが増えました。

 

僕がそのことを不満に思い、補習校を辞めたいと言い出すと

「せっかくアメリカにいるんだし、最大限にその時間を活かしてほしい」

ということで、すぐに許可してくれました。

 

補習校を辞めたことで、小学5年生、6年生でやる歴史の内容がごっそり抜けていたり、一時的に算数や国語の能力が著しく下がったりはしました。

 

それでもアメリカで過ごす時間を優先してくれてありがとう。

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僕の「得意」を見つけさせてくれてありがとう

ミシガンで過ごす5年間で、僕はたくさんの習い事を試しました。

 

サッカー、ゴルフ、テニス、フィギュアスケート、ホッケー、バスケ、水泳、漫画、美術、演技、ダンス、ドラム

 

僕がやりたいと言ったものと、親が勧めてくれたものが半々くらいあります。

 

僕はもともと運動が得意ではなく、なおかつ飽き性なため、この習い事の多くは続きませんでした。

多分お金も相当無駄にしたと思います。

 

でもどの習い事をしているときも、

「あなたはこの競技のこの部分が向いている」

「逆にあなたはこういうのは苦手だね」

と客観的に分析してくれました。

 

そのおかげで、僕はいつしか自分で自分の得手不得手を分析できるようになりました。

 

結果として、「ドラム」という一生かけて追及したいものが見つかり、「舞台に立って人を楽しませたい」という大きな夢まで見つかりました。

 

一生モノの「夢」を見つけるきっかけをくれて、ありがとう。

人見知りの殻を破らせてくれてありがとう

僕は根っからの人見知りです。

今でも結構人見知りはするのですが、これでもかなり改善しました。

特に英語を使っているときなんか、自分からどんどん話しかけちゃいます。

 

もちろんアメリカにいるだけでコミュ力はおのずと上がるとは思いますが、それに加えて僕の両親はあえて僕を突き放すようなこともしました。

 

レストランで「今日は自分で全員分注文してみな」とか

マジックショーでマジシャンがお手伝いを探しているときに「ほら、手を挙げてみな」

 

といった感じで。

 

最初は緊張したし、その両親の無茶ぶりがプレッシャーだったのですが、しばらくすると結構慣れました。

慣れてくると、

「僕だって一人で注文できるんだ!」

「手挙げたら舞台に立たせてもらえた!」

といった経験が自信になり、どんどん人見知りが解消していきました。

 

親鳥がひなを巣から突き落とすようにして、僕に自信をつけてくれてありがとう。

(もしできれば、もう少しハードルの低い無茶ぶりからしてほしかったけどね)

さいごに

ということで、僕がミシガンで過ごした日々を振り返って

「これは親に感謝しているな」

と感じたことをまとめてみました。

 

もちろん子どもにも家族にも様々なタイプがあり、僕がうれしかったことでもほかの人にとってはとてつもないストレスになる可能性があります。

ご家庭によっては、補習校を辞めさせるなんて考えられないという方もいらっしゃると思います。

 

あくまでこれは、僕にとってありがたかったことのリストです。

本当に重要なのは、ご家族がお子さんと常にコミュニケーションを取りながら、そのお子さんにあった方法でアメリカでの移住生活を経験させてあげることだと思います。

 

駐在を経験する子どもからすると、海外での生活は想像以上に孤独感を感じました。不安や恐怖で眠れない夜もありました。

だからこそ、日本にいるときの何倍も家族間のコミュニケーションを大事にしていただければと思います。

 

やりすぎくらいがちょうどいいです。

 

この記事が、少しでもみなさんの不安や悩みを解消するきっかけになりますように。

 

それでは、また次の記事でお会いしましょう!