5年間アメリカで過ごした帰国子女が小6の3学期だけ日本の小学校に編入するとどうなるのか
どうも、小学校時代の将来の夢はお笑い芸人か通訳だったマルヒロです。
みなさんは、転校ってしたことありますか?
国内の転校ですら、転校する本人には相当なストレスが付きまといます。
それが海外の小学校から転校した場合はどうなるのか。
僕は諸事情により、小6の3学期という卒業間近のタイミングでアメリカから日本の小学校に転校しました。
これ、帰国子女には割とよくあるパターンなんです
しかもその学校は、1~6年生まで1クラスずつしかない公立学校。
すでにめちゃくちゃ強固なコミュニティが出来上がっているところに、アメリカから帰国したマルヒロ少年は一人飛び込むことになったのです。
そんなマルヒロ少年が、そのあまりにも急な環境の変化にどう適応していったのかご紹介いたしましょう!
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- そもそもなんでそんな中途半端な時期に転校したのか
- 僕以外のクラスメイトが全員幼馴染の状況
- とにかく浮きまくる「アメリカからやってきた大男」
- 解決策:どうせ浮くなら思いっきり浮いてやればいいのさ!
- まとめ
そもそもなんでそんな中途半端な時期に転校したのか
父親の帰任が決まったのが、ちょうど僕が小学校から中学校に上がるタイミングでした。
本来であれば春休み中に帰国したほうがいろいろと楽なのですが、公立の中学校よりは帰国子女が多くいる学校に入ったほうが安心だろうという判断で、僕は中学受験をすることになりました。
となると、中学受験のシーズンは2月ごろなので、それ以前に日本にいる必要があります。
その場合、12月末に母親と妹と一足先に帰国して、受験に備えていろいろと準備をするのが一番いいということで、小6の3学期から日本の小学校に通うことになりました。
僕以外のクラスメイトが全員幼馴染の状況
僕が通うことになった小学校は、都内のはずれの方にある小さな小学校。
全校で6クラスしかありませんでした、
僕が編入した6年生のクラスなんて、僕以外全員小1(もしくは幼稚園)から小6までずっと同じクラスで過ごしてきたので、僕の「部外者感」はすさまじかったと思います。
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とにかく浮きまくる「アメリカからやってきた大男」
そもそも体が大きかった
僕はもともと小さいころから身長が高く、小6の時点で172cmありました。
しかもアメリカでの食生活のおかげで結構ぽっちゃりとしていたので、それだけでクラスから浮いてしまいました。
僕のことを噂でしか聞いていなかった下級生たちには
「でっかいガイジンが来た!」
と騒がれました。
登校するたびに周囲の下級生から奇異の目で見られるのは、12歳の僕には相当つらい経験でした。
どの授業にもついていけない
アメリカにいる間も、日本の小学生向けの教材を使って勉強していましたが、それでもカバーできる範囲はたかが知れています。
特に歴史や漢字の授業は、
「はい、2学期にやった内容だからわかるよね」
みたいなノリでどんどん進んでいってしまい、ちんぷんかんぷんでした。
ほかにも音楽の授業ではリコーダーやピアニカが吹けないし、体育の授業では跳び箱もマット運動も全くできずに笑われる始末。
ドッジボールすら、僕が知っているルールと日本の小学校のルールが違いすぎてめちゃめちゃ足を引っ張りました。
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先生も帰国子女を受け入れるのが初めてだったらしく、僕が受けてきた教育と日本の教育がとことん違うことに戸惑っていました。
その戸惑いからか、
「お前そんなこともわからないのか!」
「こんなの日本だったら常識だぞ!」
「海外にいたからって甘えるな!」
と何度か怒鳴られたこともありました。
当時はショックでしたけど、今考えてみたら先生もパニック状態だったんだろうなーと思います
雑談についていけいない
アメリカにいる間も日本のテレビ番組を見ることはありましたが、やはり同級生の会話についていけるほどの知識はなく、流行りの番組やゲームの話になると一切ついていくことができませんでした。
中には気を使って、僕がわかりそうな話題を選んで話してくれる子もいましたが、僕の方がどんどん申し訳ない気持ちになってしまって、あまり会話が弾みませんでした。
英語を話すのが怖くなる
同級生は全員、僕がアメリカから来たということをしっているので、ことあるごとに英語を話すように要求してきました。
また、英語の授業でも先生から積極的に指名されました。
最初のうちは言われたとおりに英語を話し、そのたびにクラスから拍手が沸き起こっていたのですが、いつしかその「特別扱い」が嫌になってしまいました。
僕はできる限りクラスになじみたいのに、英語を話せば話すほど「別世界からきたやつ」というレッテルを貼られているようで嫌になりました。
そのうち僕は、英語に関する話題を振られても
「ごめん、それはわかんないや」
「うーん、忘れちゃった」
とはぐらかすようになり、
英語の授業で回答する際もわざとカタカナ発音で話すようになりました。
息苦しかったけど、そうでもしないと絶対になじめないと思っていたのです。
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解決策:どうせ浮くなら思いっきり浮いてやればいいのさ!
このように浮きまくった結果、心を閉ざしかけていたマルヒロ少年ですが、とある人がその僕の苦しみに気づいてくれました。
その人とは、2週間に1回学校に来ていたアメリカ人の英語講師。
彼は僕がアメリカに住んでいたということを知り、休み時間中も積極的に話しかけてくれました。
そうやって僕の英語に触れていたからこそ、僕が授業中にわざとわからないふりをしたり、わざとカタカナ発音で答えたりしていることにも気づいてくれました。
そして2回目に会った際に、
「なんで君は自分の得意なことを隠すんだ!周りと違うのが恥ずかしい?俺なんて見た目から何から全部違うけど、もう日本に5年も住んでる。一度も恥ずかしいと思ったことなんてないぞ?君はアメリカで一体何を学んできたんだ?Be who you are.周りから浮くならとことん浮いちゃえばいいんだよ。それにどうせ君の周りの子たちとは、あと2か月くらいでバイバイしちゃうんだから。」
という内容のメモを、授業終わりにスッと僕に渡してくれました。
特に最後の部分に勇気づけられ、僕は
「どうせもう見た目からして浮いているんだから、この際とことん浮いてみるか。
嫌われても、2か月我慢すれば終わるし。」
という思いに切り替えました。
僕が実践した「浮きまくる」方法
ということで、その開き直り以降僕がとってきた「浮きまくる」行動をまとめてみます。
- アメリカの小学校でやっていたみたいに、先生が「これわかるやつー?」って言ったら必ず手を挙げる(もちろんわかっている場合のみ)
⇒周りがあまり積極的に手を挙げないので、相対的にめちゃくちゃ熱心に勉強しているように見える - 雑談では無理に話を合わせず、代わりに相手の話題に適宜質問をする
⇒知識もつくし、会話の輪に入って盛り上げられる - 体育や音楽などでできないことがあるときは「先生、これできません。どうやってやればいいですか。」もしくは「ほかにできそうなことってありますか。」と質問する
⇒1番と同じように、積極性さえあれば結果として好印象。これを続けるとバカにしてくるやつも減る - 英語やアメリカに関することを聞かれたら出し惜しみしない
⇒相手は単純な興味で聞いている場合が多いから、そもそも遠慮する必要はない
これらのことを続けた結果、当初は
「なにこいつ?」
「優等生ぶってんの?」
みたいな雰囲気を感じることもありましたが、そのうち
「ねえねえ、なんでそんなにいっぱい手挙げられるの?」
「もっと英語教えて!」
という具合に反応が好転しました。
やっぱり、目立たないように周りに合わせて自分の気配を消す人よりも、ちょっと「変な人」でも明るく積極的に行動する人の方が見ていて気持ちいいですからね。
この開き直りのおかげで僕と同級生の距離はだいぶ縮まり、卒業のころにはかなり打ち解けていたと思います。
もちろん思い入れの量が違うから卒業式では泣けませんでしたが、それでも
「あー、みんなと会えなくなるのちょっと寂しいな」
と思っている自分がいました。
あのときの開き直りがなければ、
「やっとこの学校ともおさらばだぜ!ひゃっほい!」
という気持ちだったかもしれません。
たった数か月の思い出でしたが、想定以上に楽しい思い出が詰まった小学校生活を送れてよかったなと今でも思っています。
まとめ
ということで、小6の3学期にアメリカから日本の小学校へ転校した僕が、どのようにしてクラスになじんでいったかということをご紹介しました。
この帰国と編入のタイミングというのは、お子さんと一緒に海外に滞在している方にとってはかなり悩ましい問題だと思います。
親御さん視点でのアドバイスはインターネットでもちらほら見かけるのですが、子ども目線の情報があまりないなと感じましたので、今回このような形でまとめてみました。
少しでもお子さんの学校環境を考える際の参考になればと思います。
ではまた。